日本の高専との連携によるモンゴル3高専の展開

日本の高専との連携によるモンゴル3高専の展開

                               竹熊尚夫・竹熊真波

1 モンゴルの概要
 モンゴルはロシアと中国と国境を接し、日本の4倍(156万4千㎢)の国土を有する国である[1] 。この広大な国土に居住する住民は、わずかに323万人(2018年)であり、人口密度は2.07人/㎢と世界で最も低い状況である  [2] 。その人口の約半数が首都ウランバートル(人口149万人)に集中している。 
 政治体制は、1990年に社会主義を事実上放棄、92年に策定されたモンゴル国憲法を施行、バトトルガ大統領(2017年7月〜)を元首とする共和制国家となっている。住民のほとんどがモンゴル語を話すが、文字はロシア語のキリル文字を使用している[3]。また、レアメタルなどの鉱物資源が豊富で牧畜業も盛んであるが、人口が集中しているウランバートルでは交通渋滞や大気汚染などの都市化に伴う問題も生じている[4]。日本との関係は、2016年6月より日本・モンゴル経済連携協定(EPA)が発効されたほか、JICAによるインフラ整備支援事業なども行われている [5]。
 教育制度は、5-4-3制で6歳から15歳までの9年間が義務教育となっている[6]。元々はソ連の10年制(5-3-2)の流れをくんでおり、1998-99年度から11年制(5-4-2)、2014-15年度より12年制へと移行した。国際スタンダードに合致したこともあり、海外の大学への留学を視野に入れた私立の学校が多く存在することとなった。高等教育は、1942年に設立したモンゴル国立大学がモンゴル初の高等教育機関であるが、1992年の民主化以降急速に増え、2015-16年度の時点では国立17校、私立78校、外国大学の分校5校となっている。
 高等教育機関へは、2006年度より始まった全国統一試験によって選抜される。モンゴル政府は、豊富な鉱物資源をいかすために工学系の学生を増やすことを政策課題の一つとしているが、工学系分野の人気はそれほど高くないのが課題とされる[7]。

2 モンゴルにおける高専(KOSEN)の導入-3高専の創設
 前述のように、国立高専機構は海外展開事業として、モンゴル、タイ、ベトナムにおける高専教育支援のため、現地リエゾンオフィスを設置し、幹事校と特別協力校、協力支援校からなる高専型教育支援ネットワークにより、学生や教職員を派遣・受け入れ等を通じて高専型教育の普及・定着を図っている。その対モンゴルの幹事校が前述の都城高専である。
 現在、モンゴルには2014(平成26)年9月に創設された「モンゴル科学技術大学付属高専(科技大高専)」と「モンゴル工業技術大付属高専(IET高専)」、「新モンゴル高専」の3校が存在している。2019(令和元)年6月17日、ついに1期生卒業の日を迎え、3高専の合同卒業式がモンゴル中央文化会館で開催され、初の高専卒業生141名が巣立っていった[8].
モンゴルへの日本式高専教育導入は、日本の高専に留学しモンゴルで活躍するOB達の熱意によって実現したものである。その中心となったのが、科技大高専初代校長のアレクセイ・ガンバヤル氏であった。ガンバヤル氏は、1992(平成4)年に日本政府奨学留学生として東京工業高等専門学校に編入学をし、1996年の高専卒業と同時にIT製品販売会社に入社、同時に在日モンゴル人留学生会の立ち上げにも関わった。その後、「モンゴルが世界市場で競争得きるのには優秀な人材が必要だ」、「優秀な人材を養成するには日本式高専の仕組みの他はない」という信念の下、モンゴルの高専同窓会「コウセンクラブ」の初代会長となり、2011年に立ち上げられた「モンゴルに日本式高専を作る支援の 会」とともにモンゴルへの日本式高専の導入に奔走した[9]。
 その時までに既に200名以上のモンゴル人留学生が日本の高専で学んでいた。ガントウムル教育科学大臣(当時)も高専出身であった。そうした動きの中で、2013(平成25)年10月に笹川平和財団(SPF)の支援により「日本式高専教育導入プロジェクト」が立ち上がり、モンゴル工業技術大学(IET)に「日本式高専教育モデルクラス」が設置され、翌2014年9月より3つの高専が開講するに至った[10]。
 この3校は、教育科学省公認のNGO法人「モンゴル高専教育センター」において教科書の翻訳、機材の調達、学生や教員の研修、専門家の派遣などの協力を行っている。さらに、2016(平成28)年4月には高専を高等教育機関に位置づけた「高等教育に関する法律」が制定され、エンジニア、テクノロジストの育成を行うテクノロジーカレッジとして「KOOCЭH」(コーセン)が正式に高等教育の一環として位置づけられることとなった[11]。同年11月には高専機構にとって初の海外オフィスとなる「高専機構モンゴルリエゾンオフィス」が設置され、モンゴルにおける高専教育への協力支援体制も整った。
 ガンバヤル氏は、3つの高専のうち唯一の国立科技大高専の初代校長として、学科の拡大や卒業後の進路確保、さらにはモンゴルをアジアの技術研修のハブとする構想を持ち奔走されていたが、2017年8月中旬に45歳の若さで急逝された[12]。しかし、彼の遺志を継ぎ、2019年にはついに1期生の卒業を迎えるに至った。具体的には、2019年2月13日にIET「日本式高専教育モデルクラス」の修了式が、6月17日には3高専合同の卒業式が執り行われ、前者は15名、後者は3校合わせて141名が巣立っていった。彼らの中には、すでにモンゴル国内の大学や企業、日本の高専・大学への進学、日本の企業への就職が決まっているものもいるという[13]。

2 モンゴルにおける訪問調査
 モンゴル調査は、2017年9月と2018年9月の2度行った。1度目はインタビュー調査とアンケート調査の事前協議を行い、2度目は質問紙調査を中心として行った。

(1)高専リエゾンオフィス
 高専のリエゾンオフィスには2017(平成29)年9月12日に訪問した。リエゾンオフィスは国立科技大から歩いて5分から10分の所に位置している。
 リエゾンオフィスでは、バイガルマー(BAIGALMAA Tsagaan)女史が応対してくださった。先生は1990年代に日本政府奨学金でモンゴルから留学した第一期生である。それまで国の体制の問題などもあり、留学生の派遣は一切なかった。ゴビ砂漠の方にあるカシミヤ工場の技術者が1985年ごろから年2名程が日本の大学でエンジニアを学ぶ程度であったという。先生は東京高専の3年次に編入学したのち農工大に進学(当時新設された生物応用化学)し、博士学位を取得している。その後、静岡大学での知的クラスター共同研究プロジェクト(3億円)に参加、ハーバード大学でも2年間研究生活を送り、静岡大に戻り、助教、講師を務めた後帰国したとのことである。
 現在はウランバートル市の市会議員も務めながら(月1回会議)本職を兼任されている。
 モンゴルでの高専設立については、最近急逝したガンバヤル前校長や前文部科学大臣を含む3人の2期生が中心となって活動したとのことであった。ガンバヤル前校長は、もともとはエンジニアを派遣する会社を経営していたそうである。昨年まで外務省に勤めていた清水大使も尽力してくださり、まずはモンゴル工業技術大学   (IET)に笹川財団の支援を受けてモデルクラスを開始した。
 高専リエゾンオフィスの仕事は、大きく質的支援と広報活動とがある。特に、広報活動に関しては、今はSNS中心であるが、9年生向けに公開授業も行なっている。3高専のオープンキャンパスも行っている。また、リエゾンオフィスの業務として教員研修企画も実施しており、9~11月日本から現役の先生を呼んで紹介している。JICAから、先生を派遣するプロジェクトもある。教員研修等に関する日本側の主幹校は都城高専で新潟高専などが協力校になっている。その他、教科書の翻訳にも取り組もうとしており(PEL 実教出版)、カリキュラムの導入も検討中とのことであった。
 バイガルマー氏は、今日本で活動している高専卒のモンゴル人に帰ってきて欲しいので、活躍の場を作るためにも日本式高専教育を普及させたいとお考えのようである。「建物の掲示方法など日本人にとっては当たり前のことがこちらではできていない。マネージメントのやり方も」と話されていた。
 また、モンゴルではかつてはpolytechnicにおいて実務中心の授業が行われていたが、民主化以降それがなくなったことによる社会における高専の必要性は高いと想像されるが、一方で生徒や親の個人的な事情からは、高専は授業料をとるが、モンゴルの高校は国立が多く、授業料は無料であるためにそのニーズは不透明である。しかし、私立の高校の多くは英語圏への留学を目指すエリート校で授業料は非常に高いとのことである。
 一方、アジア開発銀行の融資で「1000人のエンジニアを日本に送ろう」という計画(PIJ)が2年前から始まっており、2017年現在20人くらい送っている。これは日本に行くチャンスの拡大で、高専の宣伝効果にもつながると考えている。先生ご自身は別件(市議として「都市計画と再開発」に関して)JICAより資金を得て日本を視察する機会があった。
 モンゴルの高専は、日本語も学べることが魅力である。クラブ活動もよくやっている。モンゴルではお昼頃に学校が終わるため、そのあとの時間をぶらぶら過ごす者が多いが、高専はクラブ活動で6時ごろまで学校に残るため、親たちも安心である。法律も制定され、高専で3年間過ごすと高卒の資格をもらうことが出来る、等の長所は浸透しつつある。

 

 現在、自然学科の授業に資するための「実験・実習センター」を設立すべく、市と提携。実験機材はJICAが提携予定。提携前日の、モンゴルでこどもの日に当たる6月1日に記念イベントを行い、沖縄高専作成のskeletonのロボットをお披露目するなど目玉企画を実行した。
 今後の課題として、KOSENという名前は浸透してきた。次は中味を伝えることが必要だと考えている。  また、現在高専生は3年から4年になったばかり。来年度の卒業を控え、卒検に向けて日本で試験を作成している方からの指導・意見がほしい。エンジニアの再教育も必要だろう。
 学生のインターンシップに関しては、さくらサイエンスで受け入れている。また、「モンゴル高専教育センター」(2014年1月設立)というNGOが学生交流を行なっている。

(2)モンゴル国立科学技術大学付属工科大学・高専技術カレッジ(MUST-IT)
MONGOLIAN UNIVERSITY OF SCIENCE AND TECHNOLOGY
KOSEN INSTITUTE OF TECHNOLOGY

1)モンゴル国立科学技術大学の概要
 母体のモンゴル科学技術大 (MUST: The Mongolian University of Science and Technology) は、1959 年に国立モンゴル大の工学部門として創設され、その後1969年にモンゴル技術大学となり、さらに2001年に現在の名称となった。2014年現在学生37,800名 (うち大学院生3,400名) が学んでおり、材料科学学科、化学工学科、物理学科を傘下に納める材料科学学部が設置されている。モンゴルにおいて高等学術教育を受けた者の3分の2はMUSTの卒業生といわれる。日本との関係も深く、40以上の日本の大学・学術機関と包括協定を締結しており、多くの教員が日本で学位を取得している[14]。
 科技大付属高専は、前述のガンバヤル氏が校長、久留須誠氏が副校長という体制で始まった。久留須氏は、佐世保高専の元教員である。電気電子工学科、土木建築工学科、工学科があり、定員は各30名である。学校のモットーは「我々は“ものづくり”の道を切り拓く」であり、育成する技術者像は「エンジニアたる前によき社会人たれ」である。また、「創造的な開発型技術者」教育の3本柱として、「①豊かな教養と専門知識を身につける、②社会人としてのマナー・職業意識を養う、③健全な肉体と精神力を鍛える」を挙げている。特に②、③は、非常に日本らしい目標であるといえよう。また、日本式高専教育らしく、1年生へのものづくり導入教育として、また体験学習の授業として「ものづくり実習」、「製図基礎」、「機械工作法」の基礎専門科目を実施しているのも特徴的な教育である[15]。                                                                        2)訪問調査報告
科技大付属高専には、2度訪問する機会を得た。まず第1回目は、2017年9月12日に訪問し、お二人の方のお話を伺った。
 一人目は、ガンブリン(GANBLING Nasan)校長(当時)である。彼は、前校長の急逝に伴い、9月1日より新校長に就任された。愛媛の新居浜高専から東京農工大へ進学。自分の時には高専に130人くらい応募があり、6人が選ばれたとのこと。今は20人ほど派遣されているそう。専攻は数学と物理である。
 ガンバヤル前校長が日本でIT企業を経営されていた時、そこで働いていた。2012年に帰国。しかし、モンゴルにIT関係の仕事はなく、また奨学留学生の義務として2年間働き、その後一般企業に勤めていたとのことである。
 もう一人の面談者は、宮前奈央美副校長(「副校長」で、九州大学教育学部博士課程在籍中に、モンゴル国立大学に留学、その後、モンゴルに居住し、日本大使館等で働いていたが、縁あって科技大高専に勤めることになったとのことである。
 学校は、2017年現在開設から4年目を迎えている。3年の高校段階が終了したことから、4年に進級せず、大学に進学する人が多い。いずれは専修課程も設置する予定とのことであった。現在、12名の専任と30名の非常勤(科技大の教員)。専任は、ほぼ教養教育を担当しており、専任のうち3名のみが専門教育を担当。そのうちの一人が佐世保高専の教壇に立たれていた久留須先生である。JICAのシニア・ボランティアの2人も巡回して教育に当たっている。
 宮前氏は、日本語を教えているが、4年生でも日本語は定着していない状況にあるという。教室は科技大の空き教室を使わせてもらっている。校舎は、ほかの学校ともシェアしている状況であるが、現在使用している建物は取り壊さ れ、新しいビルが建つ予定のため、建設中の2年間は仮校舎になる予定である。また、現在の学校はグラウンドがないので、あればスポーツをしたい。
 日本の高専との連携は多い。都城、沖縄など9校。また、M-JEEDで日本に留学する制度がある。
 高専が大学より良いところは、実験と実習に力を入れているところであろう。マレーシアが一番に気付いて送り込 む。タイ、ベトナムなども高専教育を導入するとしている。モンゴルでは、さらに、「Global Kosen Campus  構想」を推進している。それは、地理的にアジアの中心に位置する(どの地域からも6時間以内で来られる)モンゴルが、世界のKOSENのハブになろう、というものである。先日(5月頃)日本の国会議員が科技大に来てこの構想を発表。絶賛された。その際、河村元文科大臣も視察された。
 校長は、自身の高専時代を振り返り、高専の学校文化は軍隊のようで厳しかった。例えば、1、2年生は3人部屋で学校でも寮でも制服、テレビも9時以降の外出も許されない。学年が上がると徐々に緩やかになり、4年生になると一人部屋で服装も自由。9時に点呼があり11時まで自習、就寝などであるが、面白い体験だったと話された。校長が高専4年の時4人一組でピンポン玉を四隅に入れるロボコンが学内で開催され、2位になったという。2019年に大学対抗のロボコンがモンゴルで開催される予定なので、モンゴルの高専の素晴らしさをアピールできるのではないかと狙っているとのことであった。
 モンゴルでは大学に進学するのは女性の方が多く6:4の割合である。国会議員となれば男性が多いが、管理職などでは女性が多い。しかし、学科によってはやはり男女差があり、科技大の電気は32人の学生中、男子が20人と多い。
 モンゴルには鉱山がたくさんある。しかし、外資系が多いこともあり、エンジニアは外国人が占めている。これからはモンゴル人の技術者が是非必要で、そこにKOSENの存在価値があると考えている。
 モンゴル人の留学は、20年ほど前はアメリカ、ドイツ、日本が多かったが、最近は中国が一番多い。3万人ほどが中国、特に北京に留学している。英語より中国語と考えられている。また、内蒙古は100人を受け入れる政策をとっている。すぐ隣に中国大使館があるが、この時期、留学ビザの申請のためであろう、早朝から長蛇の列ができている。
 インタビュー後、カリキュラムなどのペーパーを入手しようとしたが、モンゴルは9月より新学期が始まったばかりであり、学生数もはっきりしていないこと、元々日本の様にかっちりとした年間計画などはないことなどからまだ渡せるものがないとのことであった。

 

 2度目の訪問は2018(平成30)年10月1日から3日にかけてアンケートの配布・回収をかねて数回お邪魔した。
 1日は、現副校長の久留須誠先生が応対してくださった。初代学長のガンバヤル氏が急逝したのち、経営が混乱、副校長の宮前氏、校長、経理が次々と退職。久留須先生が副校長として孤軍奮闘されていた。
久留須先生は、佐世保高専で長年教鞭をとられた名実共に「高専教員」である。高専は、工業高校でも単なるテクニシャンを育てるものではなく、また理論中心の教育でもなく、理論と実務を兼ね備えた教育であることを力説された。経済成長に必要なのは人間力である。高専の良いところは、早期からの教育で人間力も身につくところであると力説された。創造的、開発的なエンジニアの育成であるとも話された。
 久留須先生によれば、そもそも、高専教育の源流は戦前の高等工業にあり、スバルの前身である中島航空機がゼロ戦を開発したことにより戦後公職追放を受けるなどしてその流れは途絶えたが、復活の機運はあった。戦後は戦前の基盤を活用し、精密工学が発展した。昭和40年以降は重厚長大産業、その後、熱流体・材力、そして精密工学、自動車、家電へと広がった。また、先生は昭和21年生まれであり、まさに団塊の世代であるが、資源のない国日本が生き残るため、発展するためには加工貿易で行くしかない、ということが常に言われていた。高専はこうした時代背景のもとで誕生した。
 高専が出来たばかりの時、先生は海外から受け入れていた。今の様に博士学位を持っているものはなく、久留須先生が着任したときには先生も含め修士学位を持っているものは3人程度しかいなかった。
 久留須先生は7年前に教え子である新モンゴルのブヤン校長に請われてモンゴルに来られたそうである。ソ連崩壊の影響でモンゴルは数年間非常に厳しい食糧事情に陥った。そうしたときにガンバヤルさんたちが日本に留学した。現在モンゴル人高専生は400人以上となっている。
 先生に寄ればモンゴルには基本的に産業がなく、帰国しても就職がない。しかし、それでも帰国した高専OB達が高専クラブを創設し、1992年に教育科学大臣となったバントムル氏や初代校長のガンバヤル氏などを中心にモンゴルに高専を作ろうという機運が高まり、手伝ってくれと言われてやってきた。高専は日本では学校教育法に位置付けられ、高専法もある。モンゴルでも2014年にようやく法改正され、高等教育法の中に高専という言葉が入った。ただし、モンゴルの問題点は政治第一主義なところである。文相が変われば方針も変わるという不安定性さがあるとのことであった。

 2回目は10月2日午後で、実際に高専で働かれている3名の先生方と面談することができた。詳細は以下の通りである。

○面談者1: A先生(男性)数学専任教師(現在科技大の修士課程に在籍中)
 木更津高専に研修に行き、学習環境、生徒数(800人)、カリキュラム、寮生活などモンゴルとの天と地ほどの違いに驚いたとのことであった。
数学の内容に関しては、講義の方式や成績の付け方などは変わらなかったが、モンゴルとは違い、全員が教科書・問題集を持っていた。問題など解かせやすいと思った。日本の問題集は基礎、確認とレベルアップするのが良い。許可を取って本学の学生にも解かせている。
モンゴルでは3年次にイエーシ(統一試験)を受けなければならないが、高専の内容とずれている部分があるので、イエーシのためにモンゴル方式にも合わせないといけないのが大変。イエーシでは6年から12年生までの全ての範囲が出題される。
例えば、三角形の問題があるとして、モンゴルでは角度だけを求め、マークシートで回答するのだが、日本では三角形だけでいろいろな聞き方をする点が異なる。
今教えている応用数学はモンゴルの大学の2・3年レベル。日本でも高専出身者は、高専で学んだ内容を大学3年でもう一度学ぶという話を聞く。
このようなハイレベルの内容でも、基礎、線形、微分1などはモンゴルの学生もついていける。確率や微分2、応用となると厳しい状況である。また学生は宿題もあまりきちんとしない。そもそもモンゴルでトップクラスの学生はこの学校には入ってこないし、学校の体制も十分でないため、指導は大変。中間、定期テスト以外に2週間に一度確認テストを実施している。留年はない。
なお、モンゴル人は数学オリンピックに強いが、独特の教育方法があるかという問いに対して、もともと教育体制はフランスからソ連を通じて成立したので、国際オリンピックも早期から参加していた。モスクワの大学で博士学位をとった教員も多 く、アカデミックな領域が得意であるとの回答があった。

 ○面談者2 B先生(女性)
 化学(power engineering)専任。修士修了してすぐに着任。ロボコンの指導もしている。
佐世保高専と長岡に研修に行かれたとのこと。佐世保では授業を子どもたちと一緒に受けて全然違うと思われたそうである。実験の手順が書かれたプリントを配布したうえで、先生が全体説明を行い、さらに机間巡視をしながらもう一度教えていたことや、実験の際は40人を10人ずつの4グループに分け、4人の先生を巡回する形で4種類の実験を行っていたことに感心し た。モンゴルでは専任1人が一度に教える。
 午前中が授業、午後は実験(90分×4)、16時10分に授業が終わり、16時半から部活と非常にパンクチュアルで不思議な気がした。モンゴルは午前3時間(50分)午後3時間の授業があるが、非常勤の先生との関係があり、日本のようにはいかない。ただ、内容としてはプログラム通りにやれている。知識を定着させることを優先している。実験の後はレポート作成が必要だが、そのチェックが大変。ロボコンも高専の宣伝にもなることから手弁当で指導している。今はプログラミングを教える程度だが、泊まり込みになることもある。材料費は出してもらえるが、残業代等は出ない。
 実験機材については、電気の場合は困ることはない。日本から先生がモンゴルに来られ、講義をしていただくことがある が、その際に使用した機材などをそのまま置いて帰ってくれ助かっている。
 大学と比較して異なると思うところは教え方。かみ砕いてわかりやすいように教えていると感じた。5年生で卒業研究があるため、就職にも有利なテーマを取り上げようと日本の方に相談したら、その研究は日本ではすでに終わったといわれ驚いた。研究環境やレベルが非常に高いと思う。

○面談者3:C先生(日本語教師:女性)
 東北大大学院で文化人類学の博士学位を取得。モンゴルの大学を卒業し、社会人をしていたが、東北大の修士課程に進学したとのこと。博士論文はモンゴルの女性の地位について研究。帰国し、JICAのプロジェクト(児童中心)で働いていたが、そのプロジェクトが今年で終了したことから他の仕事を探していた。文化人類学での就職はないので、日本語の教師としての職を探していて、こちらに9月からお世話になることになった。ところが、校長、経理、学習マネージャーも退職し、困ってい る。設備も不十分で、寮もないため田舎から来た子供たちは親せきの家か下宿生活をしている。高専出身者は久留須先生  のみ。専任も3人しかおらず、古い先生はモンゴルの昔ながらのやり方で授業をされている。部活も要望はあるが、体育館もない状況でできない。モンゴルでは転校も頻繁で、今年の1年生は40名の合格者があったが、入学したのは27名程度と厳しい状況である。

 アンケートは5年(25名)、2年(35名)他、可能であれば3年、4年もお願いすることとし、3日に回収した。科技大は、3高専中唯一の国立大であり、設立に貢献したガンバヤル氏が初代校長を務めていたところではあるが、久留須副校長が話されているように、トップが変わると方針ががらりと変わる、社会主義的な側面を内包しており、ガンバヤル氏急逝後は、手狭な仮校舎での運営が続いていること、実験機材などの設備がなお不十分であること、科技大から来られる先生方はなお旧態依然とした授業を行われていることなど教育内容の面でも非常に厳しい状況であることが感じられた。

(3)新モンゴル高専 New Mongol College of Technology

1)新モンゴル高専の概要
 新モンゴル高専は、2000年10月に設立されたモンゴル発の日本式高等学校「新モンゴル高校」が母体となっている。創設者のジャンチブ・ガルブドラッハ(Janchiv Galbadrakh)氏は、1995年10月に日本の国費留学生(教員研修留学生)として山形大学・東北大学に留学、来日前はウランバートル公立大84学校高校課程の教頭だった。そして、留学中よりモンゴルに日本式高等学校を設立する夢を抱き、「柱一本の会」他の資金援助を受け、2000年10月に「新モンゴル高校」を設立するに至ったのである[16]。
 その後、2014年に「新モンゴル工科大学」と「新モンゴル高等専門学校」が設立、これらの学校を傘下に置く「新モンゴル学園」が誕生し、ガルブドラッハ氏は理事長に就任した。
新モンゴル工科大学の初代学長ガンゾリグ氏は東京工業大学出身で、東工大をモデルとし、「知性と創造性に飛んだ真のエンジニアの育成」を理念とし、バイオ・ナノ工学、物質工学、機械工学、電気電子工学、建築工学、情報通信工学、人工システム科学、環境工学の8学科から構成されている。
 一方、新モンゴル高専は「日本とモンゴルの将来を担う技術者の育成」を目指し、電気電子工学、機械工学、物質工学、土木建築工学の4つの学科から構成されている。初代校長の S.ブヤンジャルガル氏も日本の高専出身で、実践的技能を身につけた創造的な技術者の育成を目標としている[17]。

 2)訪問調査報告
 新モンゴル学園にも2017年9月12日と2018年の10月1日・3日に訪問することができた。まず、2017年の初めての訪問の際は、NARANBAATAR Bayarsaikhan氏(土木建築工学科学科長)に対応頂き、学校内の案内をしてくださった。先生は米子高専を卒業している。
 大変立派な校舎で、新モンゴル学園高校が併設されている。さらに、別の地域に新校舎を建設中とのことであった。生徒たちが制服を着用していたのに驚く。女子は可愛らしい赤いリボンのセーラー服。教室内だけではあるが、学校掃除も生徒たちで行うとのこと。グラウンドはないが、体育館はあり、8時から15時までの授業が終了し、17時まで自習等を行った後、17時から18時までバスケや卓球などの部活を行う者もいるとのことであった。
案内の途中で、土木建築工学の専任教師D氏(北海道出身、会社を退職したのちモンゴルに。現場で培ったノウハウを教えることが楽しい様子。奥様に4年の約束で単身モンゴルに来たが、奥様を説得し、延長していただいたとのこと。ようやく4年生が出て専門教育が始まったので、どう道筋をつけるか、ここが正念場と認識しているといったことを熱く語られた)、JICAのシニア海外ボランティアの黒川渉氏(モンゴル高専センターに所属し、3つの高専を回っているとのこと)、E氏(化学工学専任高専出身の若手研究者)にお目にかかった。
 課題としては、とにかく、実験機材が少なく、日本から送ろうとしても国立から私立に送ることができないとのことで、送られても私立の新モンゴル高専にまで届かないことが悩みとのことであった。JICAの派遣も原則として私立はダメとの制約があるため、新モンゴル高専にじっくり腰を下ろして教えるわけにはいかない。また、教科書について も、モンゴルの大学ではいまだに旧態依然としたソ連時代の教科書を使用しており、日本の教科書の方がずっといいが翻訳されていないので大変とのことであった。
 ついで、ブヤン校長との面談の機会を得た。先生は、佐世保高専出身である。彼の時は9人派遣されたそう。これまでに300人を超える高専卒業生を輩出。120人が帰国。2008年にKOSEN卒業生の会(高専クラブ)が立ち上が り、高専卒業し帰国したものへのアドバイスなどを行っていた。2009年に同窓会が開催されたとき、モンゴルに産業が必要、人材も必要、留学にしてももっと若いころから行けるといいね、などと話しているうちに「高専を作りたい!」という機運が生まれ、支援の会を結成することになった。行政や民間機関千葉大などへのロビー活動を経て3つの高専を設立するに至った。
 3校連携してモンゴルに高専を普及させたいと思っている。高専の魅力は15歳という「聞く耳」を持った若者に教育できるということだろう。ウランバートルは誘惑も多いので、18歳の若者は聞く耳を持てない。
 保護者に高専を宣伝する際、「ある外国人が90年前にモンゴルを訪れ、見聞録を記した。そこには、15歳でもう成人していると書かれている。当時の15歳は、文字はわからない。科学の知識はない。しかし、自立していた。今の子は何ができるか?子供たちを「自立」させるべき」と保護者に訴えている。モンゴルの問題の一つが、まだ自身が「成人」していない若いうちに子供を産んでしまうこと。それで育て方がわからない。保護者教育が必要である。
 新モンゴル高専の哲学は「人づくり」であり、これが日本の教育の良さだと考える。特に高専は寮生活を通じて人を育ててきた。また、技術教育は低年齢から始める方が有利で、日本も小学校からプログラミング教育を始めようとしている。アメリカもSTEMがあり[18]、マッケンリーという大手コンサルティング会社が政府の依頼を受けて日本の高専を調査した。4,5年前に、ニューヨークで高専方式をモデルとしたP-TECHという学校をすでに設立し、6年間の一貫教育で企業と連携し、就職にまでつなげている[19]。これこそが次世代を育成するための学校ではないかということで、その後、数校造られ、このような学校をアメリカ各州に作ろうとオバマもそれに注目し、視察している。このような学校は日本では企業の要望を受け55年前に作られた。若い時から技術教育を行うことがいいことだと最近証明された。一つの例を示すと、有名なDropboxを作った人と私は同じ年だが、彼は10歳からパソコンを触っていた。私は20歳から。10年間も遅れがある。だから、モンゴルが今後発展しようと思えば、やはり若いころからの教育が必要。そこに高専の意義がある。
 日本の高専はメーカー側のニーズから始まった部分があり、地域の企業との良好な関係の中で卒業後即就職できた。モンゴルは豊富な資源があるにもかかわらず、そうした発想さえない。日系企業がモンゴルに来て会社を経営しようとしてもちゃんと働ける人がいない。優秀な人は海外に行ってしまい、産業人材が不足している。また原材料の輸出からそれを加工する方向に移行しないといけないとの声は上がっているが、人材不足のためなかなか実行に移せない。JICAがその問題について調べている。
 現在、モンゴルに日系企業は多くない。自分が把握している企業も2、3社。ただ、我々は、現地の企業と関係を持ち、企業が抱えている問題を学校で解決しようとしている。モンゴルでは、教員の給料が低いので、共同プロジェクトなどで企業の問題も解決しつつ教員の経済的支援もできるとよい。ただし、その中に学生も加えてほしい。
 われわれは、1年生の時から職場体験をさせている。これは日本の高専とは違うところ。優秀な学生に1年が終わった夏休み期間中に職場体験学習をさせ、報告会を行っている。
 高専では、技術を学ぶだけにとどまらず、それを生かすことができないといけない。ビジネス的観点。特許はどうして取るか、販路は?など。そこで、マウスパッドや化粧品など商品を作って販売することをやっている。
 現在、3年生の電気・電子工学科の学生一人一人を面談し、今後の進路を検討している。
定員は1学年120人。現在12年制への移行期間中で、あと3年で完了する。
 現在高専はCollege of Technologyとしているが、モンゴルではCollegeは専門学校の意味なので中卒と思われるのが残念とのことであった。
 2018年の訪問の際も、昨年の調査でもお話を伺ったNARANBAATAR Bayarsaikhan氏に更に様々な環境について話しを伺うことが出来た。
2018年現在新モンゴル高専は5年56名、4年49名、3年が40名、2年が90名、1年116名が在籍している。3年生が少ないのは、丁度学制が12年制に移行する直前であり、「飛び級で多くが大学に進学してしまったことによる。  また、5年生のうち18名が日本に修学旅行中とのことであった。
 今年いよいよ卒業生を送り出すが、6社が来て長期インターンシップを受け入れるなどの状況にあり、就職には困らないと考えているそう。工科大への編入学も可能ではあるが、国立大学と単位認定で難航しているとのことであった。
 なお、併設の新モンゴル高校は70名の定員に1000名の応募が殺到するほどの状況だという。新モンゴル高校と高専の間の交流は特にない。また、4年生になると進路変更をする学生もいる(親が言ったから来たけれど、本当は文系に行きたいと大学に進学するケースなど)。女子の割合は、3・4割程度。
新モンゴル高専のカリキュラムに関して、化学は大分、電気電子は佐世保、土木は徳山高専のモデルカリキュラムを参考としている。1年は共通で、2年から専門に分かれる。モンゴル式に変更しなければならないところは特にない。(学生たちは制服を着用していた)ほとんどの学生は通学しているが、地方出身の10名程度の学生は寮(セミナーハウス)に住んでいる。授業は8時から3時まで。放課後はバスケ、バレー、ロボコンなどの活動も行っている。自分は土木・建築学科であるが、厳しいと評判。実習・実験に関して、大学の施設を利用させてもらうこともあるが、手続等が煩雑で(メンテナンス代を要求してきたりすることも)、使いにくいので、年に1・2回程度。むしろ企業(業者)に頼んで現場に足を運ぶ方が手っ取り早い。

後日、アンケートの回数(5年51部、2年87部、計138部)とインタビューを行った。
○面談者:F先生 建築・土木学科長(米子高専出身)
 高専は日本では準学士の資格が取れるが、モンゴルにはなく、学士を取っておかないと保護者が不安に思う。そのため、3年で学生が減る。将来的には専攻科の設置もあるだろうが、今のところは併設の科学大学への編入学を考えている。ただし、学生には「まず2年間働きなさい。その間に高専生専用の学費も安く、インターンシップも免除するといった働きながら学士学位を取得するプログラムを作っておく」と伝えている。
 授業の内容は、日本と同じで、教科書も日本の高専の教科書を使っている。ただし、自分が学生の時は授業についていくだけで精いっぱいだった。自分は学制の関係で大学の物理学科に1年間通ったのちに試験を受けた。建築を専攻とすることとなり、いきなり製図といわれて困った。先輩もいなかったのでアドバイスも受けられず、日本語も大変だった。4年になってようやく落ち着いた。自分の時は9割以上出席していなければいけないとか、3回遅刻したら1回休みとなるなど厳しかった。しかし、時間厳守などは現場に行ってからメリットになる。
 本学科に正規教員は5人いるが、すべて先生自身がスカウトした。できるだけ科技大出身者を雇わないようにしている。科技大出身者はどうしても科技大の教育方法を踏襲してしまうからだ。一人科技大出身者がいるが、その人は実務経験を持っていて自分と考え方が同じ人だ。2011年から建築の現場で働いていたので、そこで得た人的関係からスカウトした。モンゴルの大学は一つの専門を分業化しすぎていると感じている。例えば、設計だけ、道路だけ、橋だけ、など。全体的に見ることが出来ない。
 PDCAに関して、企業を対象にアンケート調査を行い、どのような知識、経験、倫理的思考などが必要か56人の技術者から回答を得てカリキュラムチェックを行い、またその結果を会社にフィードバックすることで会社が希望する人材を養成していることを伝えている。また、学生アンケートも行い、教員の授業改善の参考としてもらっている。まだ、テクニコムと勘違いする親も多い。完成年度を迎え、卒業生の活躍を見ると変わっていくだろう。
 卒業研究の指導は大変。実はモンゴルでは教師の給料が安いため、この仕事を引き受けるとき、建築のサイドビジネスもやりますよ、という条件でここに来た。スカウトする際もその条件を出している。従って、卒業研究も自分が対応可能なテーマ、自分のビジネスにも役立ちそうなテーマ(設計図自動化ツールなど)に取り組ませるようにしている。
 なお、別の件で面談した方が実は新モンゴル高専の4年生の女子学生の保護者だそうで、保護者としての意見を伺うことができた。お嬢さんは、3年生まで制服生活だったが、4年からは大学1年と同じで制服着用の義務はないものの、規則が厳しく不満を持っているとのことであった。例えば髪の毛を染めてはいけない、フード付きのセーターもダメ、などである。モンゴルでは女性の社会進出率は高く、30歳でも結婚していない人も多い。ただし、政府高官などは男性である。
 新モンゴル高専への進学はお子さん自身が決めた。実は国立大の理系の高校にも合格しており、母親としてはそこに入れたかったが、施設などを見て新モンゴルがいい!と決めたそうである。学費は新モンゴル高専の方が少し高い程 度。
 カリキュラムについては、一般の学校より進んでいる。3年終了時点でイエシュという統一試験を受けるが、娘はそれほど熱心に勉強していたようには見えなかったのにレベルが高かった。ただ、試験を受けるためにモンゴル式の教材を使わざるを得ない状況があり、不必要に感じる。数学・物理・化学など完全に日本式で構わないと考えている。リエゾンオフィスのバイアルマン所長が、高専が使用している応用数学の教科書を調べたところ、モンゴルの大学3年のレベルと同等であることがわかった。
 来年1期生が卒業するが、新モンゴルではIT関係の専攻科を作る予定とのことである。日本の高専の専攻科への進学も検討されており、仙台高専専攻科体験プログラムもある(インターンシップも)。スムーズな進学のためにはJABEEの認定が必要かといわれている。
 モンゴルでは社会主義の時代から先生と生徒の関係は遠い。先生一人に対する生徒の数が多すぎることによる。現在民間は改善されているが、新モンゴル高専では先生が生活面についてもアドバイスをされている。こうした行為は留学経験ある先生には当たり前のことかもしれないが、経験ない先生には大変なことだろう。しかし、頑張っている。下の娘(8歳)は小3で私立の学校に通っているが、その学校の先生も国立より責任感が強いように感じる。
 高専教育の理念である全人教育は評価している。高等教育法にも組み込まれている。しかし、一般の認識は低い。政府からの支援がもっとあればよいと思う。社会主義時代、テクニコムという職業訓練センターより上のレベルの工業系人材育成機関があったが中等教育レベルだった。高専の名称はそのテクニコムと類似している。
 日本同様、高専は高等教育として位置づけられているが、学士学位までたどり着かないこともあり、その認識が定着するまでには至っていない様子がうかがえた。

 

(4)モンゴル工業技術大学付属高専(IET)Institute of Engineering and Technology

1)モンゴル工業技術大学の概要
 モンゴル工業技術大学(IET)は、1984年に設立した建築学校を母体とし、2012年に大学へと発展した私立の高等教育機関である[20]。現在は、高専の他、職業教育を行うポリテクニクも有し、IETに527名、高専に257名、ポリテクニクに1031名、合計1815名の学生数と117名の教員数となっている。大学は修士課程もあるが、学士課程では、道路・橋梁建設、土木、ビルメンテナンス、建築、食品生産等のプログラムを有している。
このうち、高専は、2013年10月日本式高専教育モデルとして先行開設した後、2014年9月にMONGOL KOSEN (COLLEGE OF TECHNOLOGY)として正式発足した。土木、電気、機械、バイオ工学の4つの学科が存在している。校長は、ナランバータル氏で、彼自身米子高専(建築)で学んだ経験を持つ。その後千葉大(土木)に進学し、帰国した。彼は、工業技術大の総長も兼任されている。

2)訪問調査報告
IETにも2017年と18年の2度に渡る訪問の機会を得た。1度目の訪問時には、西山はるひこ先生、G先生他多くの先生方にお目にかかることができた。
西山先生は、東工大出身で品川にある都立高専に定年まで勤めたのち、特許庁へ移動した。その後依頼を受けてモンゴルへ来られたとのことである。
 都立高専時代は学科主任として学校改革を行い、文科省の認可を受けるために奔走していた。その時提案した「地元の中小企業との交流センター」が大学設置審(委員長=京都大学学長)に高く評価された。それもあって定年後特許庁で提言をする仕事に携わった。ちょうどwindowsにするか日本のもの(トロン)にするかで日本がいいと提言した が、経産省はアメリカの意向を忖度したのだろう、windowsに決定した。この選択は大きな間違いだったと思うと力説されていた。
 IET付属高専の校舎は、ロシア式の学生寮を改造したもので、外見は古いが中に入ると、とてもきれいな雰囲気だった。元寮だったこともあり、西山先生は同じ校舎の一室で生活されているとのことであった。その後、学校内を見学 し、たくさんの方と名刺交換を行う。この学校は苫小牧高専のカリキュラムをモデルにしていることもあり、ちょうど伺ったとき、苫小牧高専の先生が3週間の予定で教えに来られ、また別の先生が4年生を引率して見学をされていた。4年生は授業を行うとのこと。
 教務主任の先生は大学の方から来られた方で日本語はできない。昨年JICAの援助を受けて木更津高専にて2週間の研修を行った。教育環境、特に実験施設が素晴らしいと感じたとのことである。
 今年はG先生がいかれるとのこと。彼女は茨城高専から茨城大学に進学。現在はIETの専門課程を教えるべくモンゴル国立大学にて修士課程に在学中とのことであった(来年卒業予定)。
 高専の生徒数は205人、教師は24名(長期3名、短期では10数名)、スタッフ14名計8名となっている。一クラス30名、(去年は20)、建築、電気・電子、バイオエンジニアリング、機械があるが、去年は建築と電気の2学科のみ開設。学生の希望を取って振り分けた。
コース変更は例えば、親は建築がいいと子どもを建築学科に入れて、そのあと学生の方が、自分はやはり別のコースがいい・・とうことで移る。
 1年生の授業が始まったばかりのクラスにお邪魔させていただいた。こちらは、制服はないようだった。まだ日本語も学び始めたばかり。授業の間じっと座っていることさえ、大変な状態だとのことだったが、起立、礼「おはようございます」ときちんと挨拶できていた。クラスの中に日本語が達者な子がいて通訳をしてくれていたが、その人は親の仕事の影響などで、日本で暮らしていたことがあるとのことだ。そうした子供がどのクラスにも何人かいるとのことであった。
 施設に関して、西山先生は日本の支援の問題を指摘されていた。ドイツなどは支援をする際に最新の機械をすぐに導入するが、日本は人だけ送る。あるいは必要のないところに送って、誰も使わない状況のまま放置されている。大学にも機械はあるが、中国式で使えない。中古でいいのでたくさん送ってほしい。最近三菱(重)工業がいくつかの機械や戸棚などを提供してくれ、とても助かっているとのことである。確かに、見学した限りでは、IETが最も機材が整っていた印象を受けた.
 見学の後、H先生にインタビューを行った。H先生は新モンゴル高校出身で宇都宮大学に留学経験を有し、その後、都城高専OBの川崎氏と共同で小型の風力発電を開発し、特許を取得した(Wind Solar Energy Co.,Ltd)。2013年のモデルクラスでは、20人の学生を大学から受け入れて教育。現在は大学に戻っている。現在、高専には190人くらいが1~4年次に在学している。最高学年に達するにあたり、これから卒験をどうするかが課題。
 4年生に対しては夏休みを利用して田舎で玉ねぎを収穫するというインターンシップを体験させている。もちろん親の許可を取って行っているが、インターンシップについて、「ただ働きをさせている」と抵抗する親も多い。日本の高専はモンゴルのシステムと異なるため、新しい試みをする際に反対にあう。その違いをひとつひとつ説明して理解してもらうことが苦労する点である。
 現在はウランバートル出身の学生だけではなく田舎の子供たちも結構在籍している。かれらはものつくりに対する情熱はあるが、経済的に恵まれていない。
 学生募集は、田舎の小中学校に行って先生方に研究内容をプレゼンする形で行っている。今年は鉄道沿いの県を  狙い、寮費は無料(光熱費のみ)と宣伝したところ、同じ県から8人が入学した。戦略が成功した。鉄道沿いは親の収入も高く、そうした親は教育熱も高い。
 日本式の学校への適応については、親から離れての生活でホームシックになる子もいるが、アニメや漫画などのサブカルチャーを通じて日本に興味を持った学生が多いのでそれほど問題はない。入学後日本名を与えているが(ヒミコやシンイチなど)、よろこんでfacebookで使ったりしている。文法が間違って書き込んだりもしているが、1、2年後リマインドしたときに自分で気づけばいいかとそのままにしている。
課題は、先生方の理解をどう深めるかに尽きる。先生方もコンセプトは理解しているし、新しいことにチャレンジしようともしているが、どうしても自分が経験した慣れたやり方で教えたがる。それをもうひと工夫してもらいたいというのがこちらの考えである。本来なら開校前に教員を育てるべきだったかもしれないが、今はもう引き返せないので、教員も育成しながら・・例えば、長い夏休みを利用するなどの工夫をしたい。モンゴルでは教師の給料が安く(医者も)、生活が厳しいので、じっくり研究している暇はない。企業との連携もこれまでなかった。
サークル活動としては、産学連携の第一号として黒ニンニクを作っている。保存技術の革新を通じて、「モンゴルから近郊野菜を作って日本に送ろう!」、「野菜工場を作ろう!」というプロジェクトをイノベーションとしてやってい る。モンゴルは10月を過ぎると外での仕事はできない。建築現場も冬眠する。また、モンゴル人の健康にもつながるこうしたプロジェクトは国立ではできないものである。
 モンゴルで開催されたロボコンで高専生(2、3年)が大学生を打ち負かし、ベスト4に入った。また、チームワーク賞も獲得した。その後、学生達は自分たちに自信を持つようになり、企業家精神が出てきている。大学生は課題に対して改善案までは出せる。高専生は実戦経があるからさらに製品作りにまで取り組む。
現在、学科・学年混在し様々なプロジェクトを行っている。コンテナで野菜を作ったり、千葉大と共同で気球打ち上げて生命の有無を調べたり(モンゴルは東西に長く、そうした実験に適している(人口密度も少ないため、打ち上げた気球をほぼ安全に、そして確実に回収できる)来年はロケットも飛ばす予定。
 イチゴジャムというコンピュータシステム(大阪の中小企業が作成)を1年生のものづくりの授業で利用している。ものづくりの授業は、15.6歳の子ども達にとって「面白い」、「楽しい」という授業が必要と考えて設定している。
モンゴルはやることはいっぱいあるが、人口が少ないためマスプロダクトは難しいだろう。むしろプロトタイプを作 り、中国などで大量生産するような形がいいのではないかと考えている。モンゴルは資源も人材もあるのにそれを活かせない。(地下資源は世界8位、再生可能エネルギーはカナダに次いで2位)帰国したくても帰って来られない。
 例えば、モンゴルには素材関係の専門店がない。ねじ一つをとってもたくさんの種類があり、日本ではそういう店に専門家がいた。自分はモノタロウで日本から購入している。
 日本のサンコー精機に研修にいったモンゴル人がモンゴルでサンコー精機を起業した事例がある。

 高専での教育の中心は「生きる力=ものづくり」である。それは、みんなが幸せになれることであり、人間性の育成にも力を入れている。従って挨拶はしっかりさせている。(学校掃除はやらない)先生と生徒の関係もモンゴルの他の学校より距離が近く、学生は社交的になったといっている。一つのクラスで勉強会を開き、わからないことは先輩に聞くよう指導している。毎年一人ずつ高専に派遣(苫小牧、仙台、長岡、茨城など、都城高専も検討中)留学する際はモンゴル人同士「つるむな」、と指導している。

 2018年の2度目の訪問の際にはSERGELEN Munkh-Ochir 校長(工業技術大の総長も兼任)にお目にかかることが出来た。その際、モンゴル高専を紹介するパワーポイントを見せていただいた。
 2018年現在学生数260名、教員40名。組織は、プロジェクトチーム(苫小牧高専のカリキュラムや教科書の翻訳など)、技術移転センター、学生課、一般科目学科、各学科(機械・電気・建設・バイオ)から構成される。
1年生対象に 1泊して行うオリエンテーションを実施している(モンゴルでは通常はない)。部活も、フットサル、ラグビー、バスケ、イチゴジャム、料理、レゴロボット、美術、気球実験など盛んに行われている。ロボコンも2チームある。年間4回の工場見学を実施するほか、日本へのインターンシップもある(川崎、神奈川など)。
日本人の専門家も長期6人、中期(3か月)3人、短期(2~4週間)20人を受け入れる他、モンゴル人教員の日本への研修も行っている(3人×5回)。来年卒業生が出るが、日本の大学の3年次に編入できないか模索中である。
 その後、学食でランチをいただいたが、安い上に栄養バランスも整っていた。

 

(5)モンゴル科技大付属PIU高専留学プロジェクト

1)プロジェクトの概要
 モンゴルには、モンゴル人の草の根運動によって成立した三高専の他に、モンゴルの若者を日本の高専に留学させようという支援事業が存在する。それは、工学系高等教育支援事業 M-JEED1000ENGINEERSというもので、モンゴル政府と国際協力機構(JICA)との間で2014年3月12日に締結された円借款協定に基づき、2014年3月~2023年3月の9年間にわたって行われる以下の事業である。事業全体で来日するモンゴル人が合計1,000人を予定していることから「1,000人のエンジニア育成プロジェクト」と称される。

1) 高専留学プログラム200人
2) ツイニング留学プログラム320人
科技大(建築工学、機械工学)で2.5+2 長岡科学技術大学、豊橋技術科学大学、九州大学、京都工芸繊維大学、名古屋工業大学、北見工業大学がツイニングコンソーシアム大学(2015年4月時点)
3) 共同研究・・教員研究者対象 博士60、修士100、ノンディグリー320人
 
 このうち、高専留学プログラムは、すでに日本語能力を有するものは(ファストトラック)、日本留学試験を受験 後、国立高専機構の選考試験に合格した後に日本の高専の3年次に編入するが、通常は、科学技術大学入学試験に合格後、高専留学予備教育プログラムに入学し、科学技術大学において1.5年間の日本語予備教育を受講し、日本留学試験で一定の学力を収めた場合、日本の高専の三年生に編入することができる。留学中の授業料・生活費・渡航費はモンゴル政府教育国家ファンドによる奨学金ローンが貸与されるが、帰国後自身が修得した専門を生かし、モンゴルにおいて5年以上勤務した場合、奨学金ローンの返済が免除される。また、勤務期間中に本プロジェクトと科学技術大学間で締結される契約に基づいて追加教育を受け、学士号を取得することも可能となっている。
 日本語の予備教育は2014年秋から開始され、2020年の秋で終了する予定で、最後の派遣者(5期生)が帰国し、事業が終了するのは2023年3月を予定している。2016年4月には第1期生24人が来日した。日本の高専でアンケート調査に応えた学生の多くはこのプログラムで高専に留学した者達である[21]。

 もう一つ、JICAが関わるモンゴルへの教育支援として、「モンゴル日本人材開発センター(MOJC: Mongolia-Japan Center for Human Resources Development」がある。これは、2002年6月モンゴル国立大学敷地内にJICAと国際交流基金(JAPAN FOUNDATION)が資金援助をして設立したもので、「市場経済化に向けた人材育成及びモンゴルと日本の相互理解促進」を目的としている。事業内容としては、ビジネス人材の育成、日本語教育、相互理解の促進があり、図書室には、日本留学情報コーナーも設置されている[22]。2012年より、日本語教育、相互理解促進事業は国際交流基金が協力を行っている。
 これまで行ってきた事業としては、まず、2001年8月~2004年2月 第一期SAKURAプロジェクトでは、600の高校の半数300校においてPCがないという状況であることから、地方の高校51校に392台のPCを提供(電子メール機能など)としている。
また、世界各地の日本語教育機関との連携を通じて2008年度よりJFにほんごネットワーク、通称「さくらネットワーク」の構築を進めている。
 
2)高専留学プログラム担当者へのインタビュー
 2017年の調査において高専留学プログラムの主任教員である桜井ちよこ先生と面談することができた。日本語予備教育を行うプログラムで日本語を担当されている先生である。
 学生がこのコースに選抜されるためには、まずモンゴルで6月に実施される大学入試のための800点満点の共通テストに650点以上取ることが必要である(普通は400点ほどあれば大学に入学できる)[23]。その後、日本留学試験(EJU)を日本語専門ともに50%以上、TOEIC 400点以上という基準をクリアして初めて日本の高専の3年次に編入できる。
 学生募集はPIUという組織で希望者を集めて各地で試験を行う。計画では、毎年40名、5年で200名を送り出す計画だったが、入学当初は46人いた学生が1年半の予備教育中に37人になり、最終的に基準をクリアし、日本に行った2期生は27人となった。(2016年に留学した1期生は24人)科技大の学生向けのプロジェクトであることから、ドロップアウトしても1年遅れではあるが科技大に入学できる。
 9月に日本語が全く分からない状態で入学して翌年12月に試験を受ける。落ちる学生もいるが3分の2は合格している。その代り、授業は非常にハードで、90分×800コマとなっている。秋学期は、まずは日本語ということで、週15コマ、数学・物理・化学が各2コマ、英語3コマの計24コマ。授業は朝の7:40~17:50、22時までは自習OKで教職員がシフトを組み対応している[24]。
 教員組織としては、日本側から派遣されているのは現在のところ桜井先生のみ。再来週もう一人加わる予定。その 他、科技大の日本語学科の先生が3人こちらに転籍されている。科技大日本語学科は都城高専やお茶の水大と交流協定がある。
 アジアシードというNPO団体がこのプロジェクトのコンサルタントのようなことをしており、1期生が在学している高専に行って聞き取りを行った。このプロジェクトは円借款でモンゴルはいずれ返さないといけないので、モンゴル側の要望が強い。40名の定員に対し、20数名しか派遣していないので、もっと多く受け入れるように、といった要望である。ただし、質保証の観点からそれは厳しい。
 アジアシードの1期生に関してのフィードバックにより、2期生の選抜に650点の基準を設けたり、カリキュラムにしても、C言語、電子回路の勉強が必要との意見を受けて冬学期にそれらの分野に関して集中講義をしたり、日本留学試験後さらに、レポートの書き方を特訓したりした。従って、2期生についてはこれまでのところ問題はないと聞いている。
 高専での生活に関しては先輩が一時帰国したとき体験談を後輩に話したりする機会を設けている。保護者向けには一番初めの保護者会で高専の生活を紹介するビデオを10分ほど上映している。
 9月からの秋学期中はとにかく日本語が大変。教科書は「みんなの日本語」を使用している。(2年目は大学・大学院留学生のための日本語から必要個所を抜粋)今3週目だが、語彙は8課、文法は9課、会話は5課まで進んでいる。専門はまずはモンゴル語で行っている。
 学生は、アニメが好きでそれを通じてきているケースが多い。新モンゴル高校やモンゴル高専、ツルゲリフ高校などで日本語を学んでいた学生も7人くらいいる。(全く知らない子のなかには、日本語ができる子を見て自分はできない・・とやる気をそがれてしまうケースもあるとのことである。)地方に宣伝に行って入学した学生の中には、日本について全く知らないものもいる。
 モンゴルは学歴志向が強いので高専だと準学士しか取れない。帰国後科技大で残りの単位を取得すれば卒業はでき る。しかし、プログラムの都合上、日本で勉学を続けることはできない。今、東京高専で学年トップの学生はモンゴル人留学生。他の奨学金など取れないか模索中。
 通常の大学は秋学期と春学期の2学期制で夏休みが3か月ほどあるのに対し、こちらは秋・春各16週に加え、2週間の期末テスト期間があり、さらに冬学期や夏学期の集中講義がある。従って、夏休みは4週間ほどしかない。次々と新しい領域を覚えねばならず、わからなかったことを長期休暇中に復習して追いつく、といったこともできない。このハードな生活があるゆえに日本での生活も苦にならない精神力が鍛えられる一面もある。一方で、モチベーションが低い学生は漢字というよりひらがなの段階でドロップアウトしてしまう。
 国費留学生として日本の高専に行くケースもあるが(彼らは日本で予備教育受ける)、国費留学プログラムと本プログラムが重複することはない。
 学生が日本のどの高専に行くかは1月に決まる。学生は学科の希望だけ伝え、高専機構が配分する。大体、一つの高専に固まらないように振り分けている。
 
 2018年の訪問の際にも昨年もお目にかかった桜井ちよこ先生が対応してくださった。このプロジェクトは円借款で行われていることもあり、計画では今年で派遣は終了となるが、1年間は延長される見込みとのことであった。
予備教育では、日本語の集中的な学習に加え、科技大の先生にお願いして専門の補習も行っている。日本語の授業は無償だが、補習については1単位いくらのお金がかかる。日本語の試験に合格しなければ日本への留学が出来ない(リストに載せてもらえない)ため、試験前などは夜9時ごろまでかけて徹底指導を行っている。しかし、日本に留学した後のこと(適応等)を考えると、勉強以外に精神的に病むことがないよう、時間を守ること、ホウレンソウをきちんと行うことなど生活面の指導を保護者との連絡も密にして行っている。特に地方出身の子は、のんびりしており、また教育環境も劣悪(教師の質が低い、給料も安い)なため、ウランバートルの生活になれるだけで大変な状況である。
本プログラムには、科技大合格者のうち上位50%が応募できる。大学にはこの地域から何人といった「地方枠」があるらしいが、県によっては誰もいないこともあり、追加募集でウランバートル出身者がはいってくる。彼らは明確な目的意識をもって応募したわけではないので、まず、最初の1週間で辞退者が出る。そして秋(1)学期が終了した時点で10名程度が辞めていく。学校でも目的意識を醸成するために風力発電所の見学などの学外授業を実施している。また、Asia Seedが現在日本に留学中の学生にインタビューをし、例えば予備教育でこんなことも勉強しておけばよかった、というような意見をその後のカリキュラムに反映させている。
 今年、最後の5期生が入学したところであるが、1期生は来年3月に留学を終えて帰国する。彼らには奨学金を付与する代わりに5年間モンゴルで働かなければならないという決まりがあるが、就職先の開拓が課題のようであった。  また、学士取得のためのプログラムも検討されている模様。
 今年度我々が行ったアンケート調査に関して、モンゴル留学生は「家族と離れる」ことがネックだったという点について桜井先生はモンゴルの人々は家族とのつながりがとても強い、特に母親と。親せき全体とのつながりも強いため、女性もキャリアを続けられる(子供をお爺さんおばあさんに気軽に預けられる)とのことであった。また、寛容性もあり、日本よりいじめは少ないのではないかとのことであった。ただ、都市化によって伝統的な文化慣習の持続が課題であり、幼稚園では小さなゲルが用意され、ゲル内部での道具の置き場所が教えられたりするそうである。ちなみに馬も年齢によって名前が変わるとのことであった。


(6)特定非営利活動(NPO)法人アジアシード(アジア科学教育経済発展機構)
   ASIA SEED INSTITUT
   “HIGHER ENGINEERING EDUCATION DEVELOPMENT” PROJECT

1)アジアシードの概要
 上記法人は1984年から活動を開始、アジア地域の高等教育支援、地域振興・起業家教育支援、調査研究・提言を行う機関である。このうち、公共教育支援は、日本の大学・大学院に留学するアジアの学生たちに対する情報提供、進学支援、学業モニタリング/カウンセリング、インターンシッププログラム、卒業後の同窓会活動などに対する支援を行っている。具体的にはエジプト国人材育成事業(教育・保健)実施支援事業(2017〜19)、インドネシア高等人材開発事業(1996〜現在)、マレーシア高等教育基金借款事業(1993〜2015)、アジアユースフェローシップ(高等教育招聘奨学金プログラム)(ASEAN10カ国とバングラデシュ対象の大学院留学プログラム、1996〜2011)などである。モンゴルを対象とした「工学系高等教育支援事業実施支援」(2015〜現在)もその一つで、高専留学プログラムを含む4つの支援活動すべてをコーディネートしている[25]。

2)訪問調査
 先に述べたように、モンゴル調査時期において訪問する必要が判明したため、事前にモンゴルの高専プログラムの担当者である矢野氏と連絡を取り、モンゴルの日本留学生からよく聞かれる問題をまとめていただいていた。日本全国にいる留学生について、スカイプでのモニタリングをし、問題が生じた場合の対応をしているとのことであった。
 アジアシードのモンゴルオフィスでは、ローカルスタッフのI女史に対応していただいた。面談の内容は以下の通りである。
 MSEEDのプログラムに入る資格は、まず予備試験で100点満点中50点以上をとり、日本のセンター試験のような全国統一試験で800点満点中650点以上を取ったものにあたえられる。たとえ統一試験の成績が良くても予備試験を受けていなければ資格が与えられないため、予備試験直前に地方を回って、このプログラムを紹介している。
毎年40人×5年間計200名の学生を日本の高専に送り出すプロジェクトだが、予備教育の段階でドロップアウトするなどで昨年派遣したのは29名であった。留学した後も休学したり、留年したりといった問題もある。3年間で約500万円。モンゴルでも数学・物理は重視されているが、出題形式がモンゴル(一問一答・選択式)と日本(大問・記述式)では異なるため、学生たちは慣れておらず解けない。
モンゴルは、元々野菜を食べる習慣がなく、最近は緑黄色野菜の重要性が言われ、米なども食べるようになってきたが(ただし、バターとはちみつなどで)、地方出身の子は野菜を食べない。日本ではまず日本食になれるまでに時間がかかる。また、レポートの作成にも苦労している。モンゴル人の気質なのか、リスクを恐れない、幼い部分があるので、いけないことと分かっているはずなのにやってしまうことがある。カンニングの問題もあった。
学生達は、このプログラムの終了後5年間はモンゴルで働くことが義務付けられている。来年3月には1期生が卒業する。就職先は基本的には自分で探すことになっているが、こちらからも就職の斡旋をする予定である。できるだけ工業系にしたいが、それに限らない。科技大3年次に編入し、働きながら学士を取ることが出来るよう科技大と政府で契約をしている。2期生以降は、極めて優秀な学生に限り専攻科に進学してよいことになったとのことである。

(7)まとめ

 モンゴルでは、高専出身者の情熱によって、いわゆるボトムアップで作られたという印象を強く受けた。高専機構への取材では高専の国際化戦略という話があり、日本側からの働きかけが少なからずあったのではという構図ではなく、むしろモンゴルの方々の、国を工業化したい、それには理論と実践を融合させた日本の「高専式」の教育が必要だという思いから日本の協力を得て学校設立や法律の改正にまで奔走したものであり、純粋な日本式高専を導入しようという所から始まっている。リエゾンオフィスや3高専すべてが、高専ができた経緯や目的などを詳細に説明されたことは、関係者のコンセンサスが十分であり、協力体制も整っているからこそであると考える。
 2017年と18年と2度訪問し、3校のカラーの違いも理解できた。モンゴル国立科学技術大学付属は、国立なだけに最も権威がある一方で、旧態依然とした教育観が残り、初代校長のガンバヤル氏の急逝や政治情勢の変化もあって、改革が進展していないような印象を受けた。
 一方、新モンゴル高専は、新モンゴル高校の成功の上に設立したこともあり、高層階の校舎に象徴されるような設備面の素晴らしさ、制服の着用や挨拶の徹底といった日本以上に日本式の教育方法の定着がみてとれた。教員についても、サイドビジネスを許容するという私学ならではの柔軟性を発揮し、優秀な教員を集めていた。教員の「若さ」も特徴的であった。
 IET付属高専は、両者の中間ともいえる存在で、校舎も新モンゴル高専のように新しくはないが、科技大付属高専のように狭過ぎるということもなく、落ち着いて勉強できる雰囲気があった。また、機械類の実験機材も中古ではあるが整えられおり、すべてにおいてコンパクトにまとまっているという印象を受けた。教員も熱心で高専OBの方を中心に日本との連携を図りながら卒業研究に向けて準備を進めているようであった。私立大学であることから、KOSENのモデルクラスをいち早く導入するなど国立科技大高専よりも自由度は高いといえよう。
 2019年、初の卒業生を輩出し、3校合同の卒業式が挙行されたわけであるが、彼らの卒業後の活躍がモンゴルのKOSENの未来に大きく影響することは言うまでもなく、今後の発展が期待される。


[1]外務省HP https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mongolia/data.html
[2]世界の人口密度ランキング(2018)https://ecodb.net/ranking/imf_area_lp.html モンゴルは190カ国中190位、ちなみにトップはマカオ23,652.48人、日本は25位(334.72人)となっている
[3]民主化後、縦書きのモンゴル文字の使用が試みられたが、難しくキリル文字表記に戻った。
[4] 竹熊真波・白土悟「東アジアの都市化と人口問題~地史学的視点から」『筑紫女学園大学教育実践研究』第4号 2018.2 pp.193-204
[5] https://www.jica.go.jp/
[6]文部科学省(2017(『世界の学校体系』ぎょうせいpp.70-73
[7]井場麻美「モンゴルの教育事情について-国際スタンダードとの一致-」ウエブマガジン『留学交流』2016年4月号 vol.61 https://www.jasso.go.jp/ryugaku/related/kouryu/2016/                     [8] https://montsame.mn/jp/read/194055
[9]科技大パンフレット及び「日本の高専教育システムのノウハウをモンゴルの国策にした男」https://montsame.mn/jp/read
[10]https://www.spf.org/spf-now/0011.html
[11]「セレクレン氏:“コーセン”はモンゴル語の言葉になった」https://montsame.mn/jp/read/194055
[12] 日本経済新聞「日本式高専、「産業立国」モンゴルに丸ごと輸出」2017/9/12
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO20989870R10C17A9905S00
[13]「モンゴル発、モンゴル高専15人の修了式」および「モンゴル3高専の合同卒業式、盛大に開かれる」https://montsame.mn/jp/read/180932&194055
[14]国立研究科発法人物質・材料研究機構(NIMS)
http://www.nims.go.jp/news/archive/2014/07/201407170.html
[15]入手パンフレットより
[16] 森修(2005)『モンゴルの日本式高校』河北新報出版センター
[17]ジャンチブ・ガルバドラッハ「モンゴルの大地に日本の風を−新モンゴル学園の誕生-」ウエブマガジン『留学交流』2015年1月号vol.46 https://www.jasso.go.jp/ryugaku/related/kouryu/2014/
[18] STEM教育とは、Science, Technology, Engineering, Mathematics(科学、技術、工学、数学)を重視した教育方針 https://education-career.jp/magazine/data-report/2016/stem/
[19]P-TECH: Pathways in Technology Early College High Schools 2011年にアメリカで始まる https://www/ibm.com/ibm/responsibility/jp-ja/initiatibes/educ/ptedh/
[20]http://www.iet.edu.mn/lan/en/index.html                              [21]パンフレット及びJICA HP(モンゴル「1,000人のエンジニア育成プロジェクト-高専留学の第1期生が新生活をスタート」https://www.jica.go.jp/topics/2016/20160419_01.html
[22]パンフレットより
[23]2期生よりこの基準を導入、その前の3月にPIUと科技大が協力し、物理・化学・数学の予備試験を実施
[24]学生は寮や親せきの家に泊まっている場合が多く、学校でないと集中して勉強できないという理由であるとのこと
[25]http://www.asiaseed.org/activity/support.html