関連研究2:批判的思考力

批判的思考の教育状況に関する国際指標
−教育目標、内容と評価に着目して−

                         花井 渉
                        (九州大学大学院/日本学術振興会特別研究員)


はじめに 
 近年、OECDを始めとする多くの国際機関や各国政府によって、グローバル化社会を生き抜くために必要な多様な能力やスキルの育成が、各国の教育制度における共通目標とされている。これら多様な能力やスキルは、年齢や職業に関わらず必要とされる能力であり、「ジェネリック・スキル」(汎用的能力・スキル)と呼ばれている。その中で、特に頻繁に登場する能力が、「批判的思考」である 。楠見(2012)によれば、批判的思考(クリティカル・シンキング)とは、多面的・客観的にとらえる「証拠に基づく論理的で偏りのない思考」、「相手を非難する」よりも、自分の思考を意識的に吟味する、メタ認知(「内省的思考(リフレクション)」)、そして、目標志向的であり、学業・市民生活・仕事の実践における問題解決や判断を支えるジェネリック(汎用的)スキルであると記している 。
 このような批判的思考能力は、日本においても、学校教育法第五一条の三に、「個性の確立に努めるとともに、社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、社会の発展に寄与する態度を養うこと。」(傍線筆者)に記されており、その重要性が示されてきた。また、近年では、「社会の期待に応える教育改革の推進」(文部科学省、平成24年(2012年)6月4日)において提言された、「社会構造の変化に対応するための初等中等教育システム改革」の中で、「考える力(クリティカル・シンキング)やコミュニケーション能力等の育成、体験的な学びに重点をおいた新学習指導要領等の着実な実施とフォローアップ」(傍線筆者)の必要性が強調されている点からも、今日の我が国においても、批判的思考能力の育成の必要性が提言されているといえる。
 それでは、この批判的思考は、国際的にどのような教育目標、内容や評価の下で実践されているのだろうか。本稿の目的は、多くの国際機関が共通してその必要性を示している、批判的思考の教育状況を、イギリスのGCE-Aレベル(General Certificate of Education Advanced Level、以下:Aレベル)、国際バカロレア(International Baccalaureate、以下:IB)、そして日本における批判的思考教育の各実践を通じて、その共通性と差異を明らかにし、批判的思考をめぐる国際指標の動向を明らかにすることである。

批判的思考の定義 
 近年、多くの国際機関や世界各国の教育制度が目標としている批判的思考能力の育成であるが、竹川(2010)によれば、これまでの先行研究で言及されてきた批判的思考は、その概念の定義に自覚的でない研究が多く見られることを指摘している 。例えば、日本国内の研究では、文部科学省や財界などの教育改革論議のように、「生きる力」や「言語力」といったものの要素として批判的思考を位置づける立場や他方で、その政治構造に対抗的な視点をもつ学習を「批判的」と形容する議論も存在することが指摘されている 。また、「批判」という言葉がもつ意味の一つ、「ものごとのよしあしを考えて評価・判断すること。とくに、否定的な評価や判断をすること 」から、相手を攻撃するというネガティブなイメージでとらえられることが多い点も指摘されている 。
 この批判的思考の定義については、様々な見解が存在しているが、その中で特に中心的な論者として評価されているのが、アメリカのロバート・エニス(Ennis, R. H.)である。エニスは、批判的思考を「何を信じ、行なうのかを判断することに焦点をあてた、合理的・反省的思考」と定義している 。また、楠見(2011)は、批判的思考の3つの観点として、それはまず「論理的・合理的思考であり、規準(criteria)に従う思考」であり、「よりよい思考をおこなうために、目標や文脈に応じて実行される目標志向的思考」、そして、「自分の推論プロセスを意識的に吟味する内省的(reflective)・熟慮的思考である」と記している 。また、竹川(2010)は、批判的思考論を「何にもとらわれず、政治的に中立的であること」とし、誤り、妄想や先入観から精神を自由にする知的解放を教育実践の目標としていると記している 。
 このように、批判的思考の定義には、様々な見解が存在しているものの、それは決して他者を批判し、攻撃するようなネガティブな言葉ではなく、あらゆる先入観から解放され、政治的に中立の立場から、他者や自分に対して行なう合理的・反省的思考であるということがいえる。

批判的思考のプロセスとアプローチ
 批判的思考とは、他者や自分自身に対して行なわれる合理的・反省的思考であるが、それはつまり、話を聞くことや文章を読むことといった、情報のインプットに加え、自分の考えをまとめる、話す、書くなどといった、情報のアウトプットにおいても働く能力であるといえる 。そして、それは日常生活、学習や仕事など、あらゆる場面で働くものである。このように、批判的思考はそれを働かせる「場面」の汎用性があるといえる 。そして、この批判的思考を行なう際に、主に「3つのプロセス」があるとされている。それらは、すなわち、「明確化(clarification)」、「基礎(basis)」、「推論(inference)」、そして「相互作用(interaction)」である 。これは、「明確化」、「基礎」と「推論」の3つのプロセスを繰り返し行なうことで、より良い「相互作用」や「行動決定(意思決定)」ができるとされている(図1参照)。
 
図1 批判的思考のプロセス

楠見(2012)「批判的思考について−これからの教育の方向性の提言−」、中央教育審議会高等学校教育部会資料4、p.4を参考に筆者作成

 まず、「明確化」は、批判的思考が最終的な行動(意思)決定へと至るように、「推論」の過程を支える能力として位置づけられているものである 。その能力としては、「問題の焦点化」や「主張の分析」や「用語の定義」などといったスキルがあげられている 。
 次に、「基礎」とは、「推論」や「明確化」の過程を支える土台であり、他者や観察から得られた情報、以前に導かれた結論について、その情報の信頼性を判断する能力を公使するプロセスである 。
 そして、「推論」は、批判的思考のプロセスにおいて、最も中心的な能力として位置づけられており、そこで公使される能力としては、「演繹」、「帰納」と「価値判断」の3つがあげられる 。また、批判的思考における態度として、論理的、探究心・証拠重視、客観的、多面的、内省的、熟慮的などの態度があるとされている。
 このように、批判的思考を行なう際、この批判的思考のプロセスを行なうことにより、学習者が恣意性や先入観や歪曲を越え、論理の明晰さや一貫性、局部性などに関して警戒することを学び、客観的真理に近づく可能性を学ぶことができると考えられている 。また、このような批判的思考論の見解においては、私情を離れ、客観的、中立的、非政治的になっていくことが批判的の意味としてとらえられているのである 。
 また、こうした考え方に基づきながら、数多くの批判的思考教育の実践が行なわれている。エニス(1992)によれば、この批判的思考教育のアプローチには、主に3つの実践方法があるとしている 。まず、一つ目が「汎用(General)アプローチ」であり、これは教科を越えた批判的思考スキルなどを、例えば総合的な学習の時間などの授業において、明示的に教える方法である。二つ目が、「導入(infusion)アプローチ」であり、これは各教科の教育において批判的思考スキルなどを明示的に教える方法である。そして、三つ目が「イマージョン(immersion)アプローチ」であり、これは学習者が教科内容に深く没入することで、批判的思考スキルを明示的に教えられなくても、気づきによって獲得していくことを目指す教え方である。また、楠見(2012)は、このエニスによる批判的思考教育の3つのアプローチに加え、「混合(mixed)アプローチ」を提唱している 。これは、批判的思考のスキルを明示的に教えようとする「汎用アプローチ」及び「導入アプローチ」と暗示的に教えようとする「イマージョン・アプローチ」を混合させたアプローチである。
 それでは、このような批判的思考は、教育現場において、どのように実践されているのだろうか。次節以降では、イギリスのAレベル、国際バカロレア(IB)、そして日本における批判的思考教育の各実践について考察する。

イギリスのGCE-Aレベルにおける批判的思考の実践
 イギリスの中等教育段階においては、全国統一のカリキュラムは存在しないものの、最も多くの大学進学希望者が取得する資格がAレベルである。Aレベルは、主に3つの資格試験団体(AQA, OCR, Edexcel)によって提供されており、その中で「批判的思考」(critical thinking)という科目を提供しているのは、AQA及びOCRである。イギリスにおける科目としての「批判的思考」は、2001年より130校において提供され始め、2009年には1000校へと拡大しており、イギリスの大学や企業において必要な能力として、重要な科目になりつつある 。本節では、これら2つの資格試験団体による批判的思考の科目の教育目標、科目(単元)内容や評価について概観し、それらをもとにイギリスにおける批判的思考の教育状況を明らかにする。
 まず、AQAの提供する「批判的思考」は、その教育目標として、次の6つの態度の育成を掲げている 。すなわち、「公平な思考」(fair-mindedness)、「自律性」(independence)、「正常な懐疑的思考」(healthy scepticism)、「思いやりと根気強さ」(care and persistence)、「推論への自信」(confidence in reasoning)、そして、「知的な勇気」(intellectual courage)である。
 また、このAQAの「批判的思考」は、自然科学、社会科学、人文科学や芸術等、多様な文脈から得られる情報、意見や議論を提示し、それらについて考えることで、大学での学びや将来の仕事や社会において求められる学際的なスキルや態度を育成することができるとされている。その他にも、この科目を通じて、好奇心、自由な発想、探究心や豊かな創造力に加え、自分とは意見や考えが異なる他者を受け入れる態度、感受性やユーモア等を身につけることも、その教育目標として掲げられており、多元的・総合的な能力の育成を目指しているといえる。
 次に、AQAの「批判的思考」の科目(単元)内容については、主に4つのユニットに分けられており、Aレベルの1年目に当たるASレベルにおいてユニット1と2、そして2年目にユニット3と4を履修することになっている。
 まず、ユニット1は、「批判的思考基礎ユニット」と呼ばれ、基礎レベルにおける多様な批判的スキルや概念の導入が行なわれる。その実践例としては、新聞記事を読み、そこから3つのレベルの課題が与えられる。すなわち、1)新聞記事の内容から問題や議論の要素を発見する(推論と結論)、2)新聞記事の論点や根拠の妥当性の検証、そして3)新聞記事に対する自分の見解の提示である 。次に、ユニット2は、「情報、推論及び説明」と呼ばれ、ユニット1で獲得された基礎的なスキルを応用し、情報やデータの精査や推論等、より明確な目標をたてることが目的とされている。ユニット3は、「信念、主張及び主張」と呼ばれ、批判的思考と論理を関連づけて学習し、推論の多様なパターンや欠点の理解を通じて、認識論の概念の応用が求められている。そして、ユニット4は、「推論と意思決定」と呼ばれ、多様な推論のパターンを学び、仮説を設定し、意思決定やその決定を正当化するための根拠として批判的思考を応用することが求められている。

 次に、OCRの提供する「批判的思考」は、次の5つのプロセスを含む科目である 。それらは「議論の分析」、「情報の妥当性と意義の判断」、「主張、推論、論点や説明の評価」、「明確かつ一貫性のある議論の構築」、そして、「正当な理由に基づいた判断や決断」である。つまり、このプロセスを通じて、生徒に批判的思考のスキルを獲得させることが期待されているのである。
 OCRは、「批判的思考」の定義として、すべての合理的なディスコースや議論に関連する分析的思考であるとしている。この「批判的思考」の科目を通じて、生徒に大学、仕事や生涯にわたって必要な推論のスキルを身につけさせることが目的とされている。また、個々の生徒に対し、構造化された方法を通じて、社会参加のために理解すべき課題(例えば、倫理的な問題、文化的な課題や自己責任等)について、深く考える機会を与えることができるとされている。そして、教育目標としては、以下の4つが掲げられている ;
・ 批判的思考の原理、概念や技法を理解すること
・ コミュニケーション、問題解決能力、分析と評価に関するスキルの育成
・ モラル、社会的・倫理的な意思決定のための枠組みの開発
・ 将来の学習の基盤となる、秩序だった批判的思考能力の育成

 OCRの「批判的思考」は、4つのユニット(単元)に分けられており、2年間を通じて、1年間に2つのユニットを履修することになっている。
 まず、ユニット1は、「批判的思考入門」と呼ばれ、その内容は、「推論の概念」及び「信頼性」となっている。「推論の概念」では、主に議論や主張の明確化、それら議論や主張には構造が存在すること、根拠と結論がつながっていることについて理解する内容となっている。また、「信頼性」では、主張や根拠の妥当性の検証を通じて異なる主張を見分け、評価することが求められている 。
 次に、ユニット2は、「議論の評価と開発」と呼ばれ、ユニット1で獲得された能力を応用し、提示された議論や主張の構造を評価するために、より広い議論の要素を見出すことが求められている 。
 ユニット3は、「倫理的な推論と意思決定」と呼ばれ、その内容は、「倫理的な推論」及び「ジレンマ、原理の応用と意思決定」となっている。「倫理的な推論」では、生徒自らが立てた推論や分析をサポートするために適したアイディア、意見や情報を選択し、多様な資料・文献を収集・分析することが求められている。また、「ジレンマ、原理の応用と意思決定」では、議論を重ねることで生じるジレンマについて理解を示し、その解決策を示すことが求められている 。
 ユニット4は、「批判的推論」と呼ばれ、その内容は、仮説、妥当な議論、演繹的推論、仮説的推論、反論、主張の強みや弱み等を見分け、説明する能力を獲得することが求められている 。
 そして、評価に関しては、AQA及びOCRはともに、ユニットごとに1時間30分の記述式による試験が行なわれる。どちらの「批判的思考」の試験も、2つのセクションに分けられており、セクション1では、与えられた課題文を読み、そこでの議論のポイントを明確化し、どのような主張が展開されているのか、それぞれの主張に矛盾はないかなどが問われる。そして、セクション2においては、それを基に推論を行ない、自らの主張を展開することが求められる。それにより、思考のプロセスを見ることができ、そのプロセスを評価することがねらいとなっているといえる。
 以上のように、イギリスのAレベルにおけるAQA及びOCRによる批判的思考の実践は、ユニットごとに段階的に批判的思考能力を育成しようとするものであるといえる。これは、先述のエニス(1992)による批判的思考のプロセスとしての「明確化」、「基礎」、「推論」、そして、「行動(意思)決定」を4つのユニットを通じて実践しているといえる。また、Aレベルにおける批判的思考の教育実践アプローチとしては、明確な教育目標やユニットごとに何を学ぶのかを明示的に設定し、科目を越えた批判的思考スキル獲得への実践が行なわれている点から、エニス(1992)の提示する3つのアプローチの中の「汎用アプローチ」が実践されているといえる。

国際バカロレアにおける批判的思考の実践
 国際バカロレア(IB)は、国境を越えて移動する生徒の教育の接続性の問題を解消する試みとして、1968年にヨーロッパを中心に開発・導入された国際的な教育プログラム及び大学入学資格である。今日、IB教育は、世界146ヶ国の4,371校(2016年1月現在) において提供されており、世界的な国際教育プログラムの一つとなっている。
 このIB教育は、6科目群及び3要件(コア学習)によって構成されており、IBの学習者像(IB Learner Profile) と呼ばれる教育目標の下、教科内外において、批判的思考教育が実践されている。その中で、特にIB教育の中核として、批判的思考の実践を行なっているのが、3要件に含まれる「知識の理論」(Theory of Knowledge、以下:TOK)である。本節では、このTOKの教育目標、目的、内容や評価を通じて、TOKにおける批判的思考の実践について考察する。
 TOKでは、まず「知識の領域」(area of knowledge)と呼ばれる、「知る」ことで得た知識を分野ごとに8つに分けたものが設定されている。それらは、すなわち「数学」、「自然科学」、「ヒューマン・サイエンス(人間科学)」、「芸術」、「歴史」、「倫理」、「宗教的知識の体系」と「土着の知識の体系」であり、IBではこのうちの少なくとも6つを学習することが求められている 。この「知識の領域」について考えを深めるためには、IBが設定する「知識の枠組み」(knowledge framework)が用いられる。これは、「知識の領域」がどのような要素によって構成されているのかを明らかにするものであり、以下の5つのキーワードからなり、「知識の領域」を異なる角度から説明するものである ;

1. 範囲・応用:どのような知識がその「知識の領域」に含まれるのか、その知識はどのように使われるのか。
2. 概念・言語:その「知識の領域」の中で使われている専門的な言語が、どのようにその領域の知識を形づくるのか。
3. 方法論:それぞれの「知識の領域」で知識がどのように得られるのか、また、知識を得るために、どのようなプロセスが用いられるのか。
4. 発展の歴史:時を経ることで、「知識の領域」がどのように発展したのか。
5. 「個人的な知識」とのつながり:それぞれの「知識の領域」の知識が、あなたが個人的に知っていることとどのようにつながっているのか。そして、その「個人的な知識」は、どのように、その「知識の領域」における「共有された知識」の一部として受け入れられていくのか。
 このように、TOKでは、明確な知識の枠組みを設定することで、異なる知識の領域について考察するための土台を提供しているのである。
 また、TOKの教育目標(学習のねらい)としては、以下の5つが掲げられている ;
・ 知識の構築に対する批判的なアプローチと、教科学習、広い世界との間のつながりを見つける。
・ 個人やコミュニティーがどのようにして知識を構築するのか、その知識がどのように批判的に吟味されるのかについて、認識を発達させる。
・ 文化的なものの見方の多様性や豊かさに対して関心を抱き、個人的な前提やイデオロギーの底流にある前提について自覚的になる。
・ 自分の信念や前提を批判的に振り返り、より思慮深く、責任意識と目的意識に満ちた人生を送れるようにする。
・ 知識には責任が伴い、知ることによって社会への参加と行動の意義が生じることを理解する。

 これら5つの教育目標からも分かるように、目標の中には批判的思考に必要な振り返り、責任、社会参加と行動、文化的多様性を受け入れる姿勢や客観性等の能力・スキルの獲得が期待されていると考えられる。
 また、TOKの内容については、以下の7つがあげられている ;
・ 「知識に関する主張」を裏づける目的で使用されている様々な種類の正当化の根拠を特定し、分析する。
・ 「知識に関する問い」を提起し、評価し、答えようとする。
・ 教科や「知識の領域」において、どのようにして知識が生成、形成されるのかを考察する。
・ 「共有された知識」と「個人的な知識」を構築するプロセスで「知るための方法」が果たす役割を理解する。
・ 「知識に関する主張」、「知識に関する問い」、「知るために方法」や「知識の領域」の間のつながりを探究する。
・ 様々なものの見方を認識して理解し、自分自身のものの見方に関連づけることができる。
・ プレゼンテーションで、実社会や現代の状況をTOKの視点から探究する。

 このような内容を実行するために、IBでは「TOK思考法」と呼ばれる、TOKに欠かせないスキルを身につけるためのモデル/方法を設定している(図2参照)。特に、「実社会の状況」といった生徒自身の経験や身のまわりの身近な問題から課題設定を行ない、批判的思考スキルを育成しようとしている点が特徴であるといえる。また、「知識に関する主張」とは、「実社会の状況」で発見された課題について、推論の土台となる証拠(データ)の収集・分析を行なうことが求められている。これは、批判的思考のプロセスにおける「基礎」の部分にあたるといえる。その後、「探究段階」や「知識に関する問い」の段階で、「推論」を行なうことで、批判的思考スキルの育成を行なっているといえる。このように、TOKでは、教科を越えた批判的思考スキルを教授する「汎用アプローチ」や教科内において批判思考スキルを教授する「導入アプローチ」を実践しているのと同時に、教科学習に深く没入し、気づきによって暗示的に批判的思考能力を獲得される「イマージョン・アプローチ」も行なっている点から、「混合的アプローチ」が実践されているといえる。
 TOKの評価については、基本的に決められた時間内に取り組む筆記試験はなく、その修了要件として課している課題は、プレゼンテーションとエッセイである。プレゼンテーションは、一人で取り組む場合は10分程度、3人で取り組む場合は30分以内である。プレゼンテーションの評価では、教員が採点したものをIB本部において適正化される。また、エッセイに関しては、IBが出題する6つの所定の課題文から1つを選択し、それについて1600語以内(日本語の場合は、3200字以内)で書くことが求められている。このエッセイに関しては、IBの試験官によって採点されることになっている。

図2 TOK思考法モデル

Sara Santrampurwala, Kosta Lekanides, Adam Rothwell, Jill Rutherford, Roz Trudgon(編著)、田原誠・森岡明美(訳)(2015)、p.23を基に筆者作成


日本における批判的思考の実践
 日本における批判的思考の実践は、これまで初等・中等・高等教育の各段階において行なわれてきた。楠見(2012)は、エニスによる導入アプローチを通じて形成される各教科の批判的スキルの例として、
・ 国語:テキストの批評(批判)的読解
・ 地理歴史:資料の批判的読解、出来事の証拠を分析・比較・整合性の検討
・ 公民:倫理、政治、経済、国際関係などの学習における論述・討論を通して、自らの考えを批判的に吟味
・ 数学:統計グラフの批判的検討、確率事象の理解、問題解決における類推、帰納、演繹の利用、論理的説明
・ 理科:科学リテラシー、研究法(統制群との比較、仮説検証等)の理解、生物、地学などにおける生活に関わる多様なデータの読み取り
・ 情報:情報リテラシー
をあげている 。これらの点から、日本における批判的思考教育の実践は、各教科教育において明示的に教授されているといえる。
 しかし、楠見(2012)によれば、日本ではこの導入アプローチと同時に、生徒の気づきによって批判的思考のスキルを暗示的に獲得させようとする、混合アプローチの実践も行なわれている。その事例として、滋賀県立膳所高等学校(普通科・理数科)における実践をあげている 。膳所高等学校における教育目標としては、特に理数科において「サイエンスリテラシー」(批判的思考力、創造性、独創性)、「生きる力」(課題発見・探究・プレゼンテーション能力)の育成、自然に対する興味・関心を持ち、主体的に探究していく課題解決能力の育成、そして、国語力・語学力を備え、国際的な幅広い視野を持つことが掲げられている。
 また、これらを実践するために、総合的学習「探究」や課題研究、高大連携・接続の拡大、充実(京都大学や滋賀医学大学の特別授業)、Glo-calな視野に立った国際交流授業として、琵琶湖調査やイギリスのケンブリッジ大学でのサイエンス・フェスでの発表、現地高校生との交流や環境研究所への訪問調査などが行なわれている。
 教育内容としては、先述の総合的学習「探究」の中で、例えば、1年時の1学期に「個人探究スキルの育成」、「問題設定」、「探究の手法」、「批判的思考」や「コンピューター操作」などを行ない、夏休みの間に個人レポートの作成を行なっている。続いて2学期には、そのレポートの輪読と相互批評、グループでのプロジェクト活動を行ない、生徒の反省的、内省的思考や協同学習の促進が行なわれている。また冬休みの間に、個人分担の発表資料を作成し、3学期にはその共有と取りまとめ、そして、ポスター発表が行なわれる。これらの実践により、情報の共有や振り返り、グループ内(間)での意見交換を通じたコミュニケーション能力等、批判的思考スキルの育成が行なわれているといえる。そして、評価については、レポート、グループ活動とポスター発表を通じて行なわれている。
 以上のように、日本における批判的思考の教育では、基本的には各教科における実践を通じてそのスキルを育成しようとする導入アプローチが行なわれている一方で、総合的な学習の時間や各高校の特色を活かし、混合アプローチが行なわれている事例も確認することができる。

批判的思考の教育状況の比較検討
 以上のように、批判的思考の実践は、各国や教育プログラムによって多様な方法によって行なわれていることが分かった。以下に、それら各批判的思考教育実践の比較表を示す(表1参照)。
 表1から分かるように、本稿において検討した3つの事例では、共通してその教育目標に「正常な」、「客観性」や「健全な」批判的思考という用語などが用いられている点から、他者を攻撃するような批判ではなく、政治的に中立で、客観的な立場から行なう批判的思考スキルの育成が目指されているといえる。また、評価方法として、記述式の試験、エッセイやレポート等、共通して記述による評価が行なわれている点も共通点としてあげることができる。
 異なる点としては、イギリスのAレベルでは、批判的思考の入門から情報収集、分析、推論、意思決定までを、またIBでは、「知識の枠組み」の下でTOK思考法のプロセスを通じて批判的思考スキルを育成している点から、エニスによる「明確化」、「基礎」、「推論」の批判的思考プロセスを念頭に実践が行なわれていると考えられる。一方で、日本における実践では、まず手法を一通り教授し、個人レポートを課した後に、それを教室内で共有・相互批評するなど、批判的思考プロセスが実践の中に埋め込まれ、そのスキルが暗示的に教授される方法が行なわれている。
 また、評価においては、Aレベルでは、記述式の試験のみによる評価であったが、IBと日本の事例においては、プレゼンテーションやグループ・ワークといった協同学習や他者との情報の共有が行なわれている点や批判的思考教育のアプローチとして、IBや日本において混合アプローチが実践されている一方で、Aレベルでは、教科として明示的に批判的思考スキルを教授する汎用アプローチが実践されている点も、各実践事例の相違点としてあげられる。

表1 各批判的思考教育実践の比較表
GCE-Aレベル 国際バカロレア(IB) 日本
教育目標 (AQA)
公平な思考、自律性、正常な懐疑的思考、思いやりと根気強さ、推論への自信、知的な勇気
(OCR)
批判的思考の原理、概念や技法を理解すること、コミュニケーション、問題解決能力、モラル、社会的・倫理的な意思決定 批判的なアプローチ、振り返り、責任、社会参加と行動、文化的多様性を受け入れる姿勢や客観性 健全な批判力、考える力、批判的思考力、創造性、独創性、生きる力、課題発見、探究、プレゼンテーション能力、課題解決能力
内容 (AQA)
・ 「批判的思考基礎ユニット」
・ 「情報、推論及び説明」
・ 「信念、主張及び主張」
・ 「推論と意思決定」
(OCR)
・ 「批判的思考入門」
・ 「議論の評価と開発」
・ 「倫理的な推論と意思決定」
・ 「批判的推論」 ・ 「知識に関する主張」の根拠を特定し、分析
・ 「知識に関する問い」を提起し、評価
・ 教科や「知識の領域」において、どのようにして知識が生成、形成されるのかを考察
・ 「共有された知識」と「個人的な知識」を構築する
・ 自分自身のものの見方に関連づける
・ プレゼンテーション
・ TOK思考法 「個人探究スキルの育成」、「問題設定」、「探究の手法」、「批判的思考」や「コンピューター操作」、個人レポート、相互批評、プロジェクト活動、ポスター発表
評価 記述式の試験 エッセイ及び
プレゼンテーション レポート
グループ活動
ポスター発表
批判的思考教育の
アプローチ 汎用アプローチ 汎用アプローチ+
導入アプローチ+
イマージョン・
アプローチ=
混合アプローチ 導入アプローチ+
イマージョン・
アプローチ=
混合アプローチ
おわりに
 今日、批判的思考は、グローバル化社会において生き抜くための能力の一つとして、その育成が国際的に求められている。批判的思考教育の実践については、エニスによる批判的思考のプロセスが一つの有効な方法として、各国における実践に影響を与えているといえる。
 本稿では、イギリスにおけるAレベル、国際バカロレア(IB)及び日本における批判的思考の教育状況を、特に教育目標、内容と評価を中心に考察し、その共通点と差異の比較検討を行ない、批判的思考の国際指標のマッピングを試みた。
 まず、教育目標としては、批判的思考、コミュニケーション能力、問題(課題)発見解決能力、振り返りや客観性などが、共通の方向性として見出すことができる。これらは、これまでの批判的思考に関する理論や定義においても、共通のキーワードとして確認することができる。
 次に、批判的思考教育の内容としては、特にAレベルやIBの実践から、エニスの批判的思考プロセスに基づき、明確な目標や枠組みの下でカリキュラムが組まれているといえる。一方、その教育実践のアプローチとしては、教科内外において明示的に教授する方法と生徒が教科内容に没入することで、暗示的に気づきによって批判的思考スキルを獲得する方法を組み合わせた実践としての混合アプローチがIBや日本の事例に見ることができる。
 本稿においては、Aレベル、IBと日本における批判的思考教育の実践事例を検討したが、近年多くの国や地域において、こうした批判的思考の教育実践が推進されているといえる。それに伴い、こうした批判的思考能力を身につけた生徒が、今後ますます増加することが想定される。今後の課題としては、このような批判的思考能力を含む、多元的・総合的な能力・スキル(ジェネリック・スキル)を身につけた生徒を、大学入学者選抜や入社試験等において、どのような基準の下で適切に認証評価するのかが課題となっているといえる。そのため、今後は高大接続・連携を念頭においた中等・高等教育の一体的な改革を推進していくことが求められているといえる。



参考文献・資料
日本語文献・資料
伊藤素江(2013)「批判的思考力とは何か」、ベネッセ教育総合研究所、http://berd.benesse.jp/assessment/topics/index2.php?id=2578(2015年12月24日付検索)
楠見孝(2011)「批判的思考とは」、楠見孝・子安増生・道田泰司『批判的思考力を育む−学士力と社会人基礎力の基盤形成−』、有斐閣
楠見孝(2012)「批判的思考について−これからの教育の方向性の提言−」、中央教育審議会高等学校教育部会資料4
Sara Santrampurwala, Kosta Lekanides, Adam Rothwell, Jill Rutherford, Roz Trudgon(編著)、田原誠・森岡明美(訳)(2015)「知の理論:国際バカロレア(IB)ディプロマプログラム準拠」、オックスフォード大学出版局
竹川慎哉(2010)「批判的リテラシーの教育−オーストラリア・アメリカにおける現実と課題−」、明石書店


英語文献・資料
AQA (2013) “GCE Critical Thinking (2770) AS exams 2015 onwards”, Manchester, AQA
Cambridge Assessment (2009) “Critical Thinking Overview of Assessments and Qualifications in the UK”, Cambridge
Ennis, R. H. (1992) “The Degree to Which Critical Thinking is Subject Specific: Clarification and Needed Research”, in Norris, S. P. (ed.), The Generalizability of Critical Thinking: Multiple Perspectives on an Educational Ideal, Teacher College Press
Ennis, R. H. (2011) “The Nature of Critical Thinking: An Outline of Critical Thinking Dispositions and Abilities”, University of Illinois.
OCR (2013) ”GCE Critical Thinking”, OCR
Office of Qualifications and Examinations Regulation (Ofqual) (2012) “Review of Standards in GCE A level Critical Thinking 2010”, Ofqual, Coventry

 

 

1.伊藤素江(2013)「批判的思考力とは何か」、ベネッセ教育総合研究所、http://berd.benesse.jp/assessment/topics/index2.php?id=2578(2015年12月24日付検索)
2.楠見孝(2012)「批判的思考について−これからの教育の方向性の提言−」、中央教育審議会高等学校教育部会資料4、p.3
3.竹川慎哉(2010)「批判的リテラシーの教育−オーストラリア・アメリカにおける現実と課題−」、明石書店、p.32
4.上掲、p.32:4-7
5.ベネッセ新修国語辞典より
6.伊藤素江(2013)、8-11
Ennis, R. H. (2011) “The Nature of Critical Thinking: An Outline of Critical Thinking Dispositions and Abilities”, http://faculty.education.illinois.edu/rhennis/documents/TheNatureofCriticalThinking_51711_000.pdf(2015年12月25日付ダウンロード), p.1
楠見孝(2011)「批判的思考とは」、楠見孝・子安増生・道田泰司『批判的思考力を育む−学士力と社会人基礎力の基盤形成−』、有斐閣
竹川慎哉(2010)、p.32:16-19
伊藤素江(2013)、12-15
上掲、L.15
竹川慎哉(2010)、p.33:12-14
Ennis, R. H. (1992) “The Degree to Which Critical Thinking is Subject Specific: Clarification and Needed Research”, in Norris, S. P. (ed.), The Generalizability of Critical Thinking: Multiple Perspectives on an Educational Ideal, Teacher College Press, pp.21-37、楠見孝(2012)、p.20
楠見孝(2012)、p.20
Cambridge Assessment (2009) “Critical Thinking Overview of Assessments and Qualifications in the UK”, Cambridge, p.1
AQA (2013) “GCE Critical Thinking (2770) AS exams 2015 onwards”, Manchester, AQA, p.2
ibid., p.5
OCR (2013) ”GCE Critical Thinking”, OCR, p.4
ibid., p.5
ibid., p.9-11
ibid., p.12
ibid., p.16-18
ibid., p.19-20
http://www.ibo.org/become-an-ib-school/(2015年12月30日付検索)
IBの学習者像とは、探求する人、知識ある人、考える人、コミュニケーションができる人、信念をもつ人、心を開く人、思いやりのある人、挑戦する人、バランスのとれた人、振り返りができる人がIB教育の目標として掲げられている。http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/ib/1353422.htm(2015年12月31日付検索)
Sara Santrampurwala, Kosta Lekanides, Adam Rothwell, Jill Rutherford, Roz Trudgon(編著)、田原誠・森岡明美(訳)(2015)「知の理論:国際バカロレア(IB)ディプロマプログラム準拠」、オックスフォード大学出版局、p.8
上掲、p.42
上掲、p.16
上掲、p.17
楠見孝(2012)、p.21
上掲、pp.22-23